“清貧”という言葉の理解が違うと、間違った状態を引き寄せてしまう

以前、清貧 について書かれた本が出版され話題になったことがありました。これは、物欲や大量消費などに警鐘を鳴らすためにバブル期に出版された本です。

みなさんにとって“清貧”という言葉を聞いて何を感じますか?

“清貧”は貧しくても清い心で正しく生きるという意味にとらえることができますが、みなさんはそういうふうに感じられますか。

清貧が良いと思って貧しくなっている?

“清貧は”日本人の心に合っているような感じがしますが、この日本人の心はいつごろ形成されたのでしょうか...。

もしかしたら、軍国主義の時に形作られたのかもしれません。というのも、戦争中は物資も食べる物も不足していて生活が困窮していたはずです。普通ならば暴動になりかねないところですが、貧しくても心清らかに正しく生きるという考えを植え付けられたのかもしれませんよ。

貧しくても清い心で生きることに、私も異存はありません。しかし、貧しくなくても、清い心で生きることはできますよね。“貧しくなくてもいいじゃん!”とは思いませんか。

わざわざ自分を貧しい状態に置かないと、清い心で生きられないのでしょうか?

でも、やっぱり清貧という考え方を良いと思っていれば、あなたも清貧の状態を引き寄せることができます。

だって、いいと思っているのですよ。そしたら、その考えは引き寄せられてしまいます。

収入が少なくて貧しい生活をしていても、心清らかに生きることができることが人として正しいと思っているとしたら、清貧の状態になれるでしょう。

貧しくなくても心清らかにはなれます

貧しくないけど清貧しかし、貧しくないと心清らかには生きられないのでしょうか?
それが本当だとしたら、裕福な人は清らかな心が持てないということになってしまいますよね。

そんなことはありえないでしょう。

貧しくても、心が荒んでいる人はいますし、裕福でも、心が清らかな人はいるはずです。

“清貧”の貧(ヒン)は貧しいというふうに捉えられてしまうと、貧しくなってしまいます。しかし、ここでいう貧(ヒン)は、無駄な出費をしないととらえるべきではないでしょうか。あるいは、贅沢が悪いというふうに捉えるべきではないと思います。

“清貧”の捉え方はあなた次第です。

貧しいことを条件とすると、貧しくなってしまうかもしれません。しかし、貧しくなくても清く正しく生きることはできると思えば、貧しくなることはないでしょう。

どうとらえて考えるかによって引き寄せられることがちがってきます。
あなたは、自分に良いと思う方を選ぶことができるのです。どちらを選びますか...。

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